2007年に発売された「パックマンチャンピオンシップエディション(以下CE)」は、 「パックマン」の生みの親である岩谷徹氏の監修の元に制作された正統進化型の「パックマン」として世界中のゲームファンから好評を得ています。 今回はCE開発チームのメンバー4人にお集まりいただき、開発秘話をたっぷり伺ってきました。


ーー まずは自己紹介をお願いします。

中島プロデューサーの中島です。社内制作スタッフの取りまとめと、外部との交渉をメインに担当しました。

大西プログラマーの大西です。ゲームデザインおよびそのプログラミングを担当しました。

井口ディレクターの井口です。全体のディレクション、ゲームシステムの設計、データ調整を含めたゲームデザインなど、 プログラムとサウンド以外は全部関わりました。

田名網アートディレクターの田名網です。ゲームの画面をどのようなものにするかを決めていく仕事を担当しました。

ーー チャンピオンシップエディション開発の経緯を教えてください。

中島バンダイナムコゲームスは2006年からマイクロソフトさんのXbox LIVE アーケード向けにダウンロードコンテンツの配信をはじめました。 最初はパックマンやギャラガといったクラシックゲームを主に配信していたのですが、その中でもパックマンがものすごい反響だったそうで、 マイクロソフトさんの方から「新しいパックマンを作って世界大会をニューヨークでやりませんか?」という提案を2006年の夏頃頂きました。 そこで、社内からパックマンを愛するメンバーを選りすぐって集結させ、もちろん岩谷さんの監修も頂いて作り上げたのがこのゲームです。

井口今だから言えるのですが、実はマイクロソフトさんからこのお話をいただく以前に、社内の何人かでパックマンの新作については こそこそ話してたんですね。大西君なんかはオリジナルパックマンの解析を水面下で進めていたようですし、この話は渡りに船のような感じでしたね。

中島スケジュール的には厳しかったですね。マイクロソフトさんはLIVE アーケードを盛り上げるという意味でかなり急がれてましたし、 われわれも2005年のパックマン25周年からなるべく離れたくないという意識もありました。ニューヨークでイベントをやりましょうという大枠の話が できたのが2006年の秋くらいですので、実質開発期間は3,4ヶ月ですね。その短い期間でいかに間に合わせるかということと、 さすが新しいパックマンだと言われるようなきちんとしたいい物を作ること、その両方をがんばりました。

井口ニューヨークでやる世界大会というのがすごく大きなテーマでしたね。 プロジェクトの半分くらいはイベントをどう成功させるかというのに意識を向けていました。

中島イベントの運営自体はマイクロソフトさんなんですけど、どういうゲームにするかというのは全部われわれにまかされていたんです。 やっぱり世界大会だから盛り上げなければいけない。じゃあどうすればいいんだというところからコンセプトを作っていったんです。


ーー 最初は今とはまったく違うゲームだったようですが。

中島開発が決まってから何度かブレスト(ブレーンストーミング)をしたのですが、なかなか軸が決まらないんですよ。 Xbox 360といえばやっぱり3Dでリアルなゲームが主流じゃないですか。そこにどういうものを投入していけばよいのかということでかなり悩みました。
そこで出たのが、イベントが行われるニューヨークのマンハッタンをパックマンの迷路に見立てるというアイディアです。 ニューヨークの街は碁盤状に整然と並んでますよね。しかも真ん中にはゴーストの巣のような公園(セントラルパーク)もある。 これは市民も喜ぶだろうし話題にもなるだろうと思って、その線でデザインを起こしてよと田名網君に頼んだんです。

田名網はい。google mapに出ているニューヨークの地図を参考にして作りました。

中島その迷路にオリジナルパックマンのキャラクターの美しさを生かしつつ立体化したものを立たせてみたんです。

井口とにかく3Dありきだったんですよね。3Dで作ったある程度記号化された街の中をパックマンとゴーストが走り回るっていう。

大西元祖パックマンの迷路が立体的になったというイメージですね。それはそれでかっこよかったんです。

井口世界大会というイベントありきの話でしたしね。その時はイベントをどうおもしろくするかってことに頭が向いちゃってたんです。

大西でもこの案は岩谷さんにあっさりボツをくらったんですよね。(笑)

井口はい。岩谷さんのハードルは予想以上に高かったです。

中島もちろんニューヨークを舞台にした新しくクールなパックマンってなんだろうっていうことを我々なりに考えた上で出てきた案だということは ご説明したんですけど、岩谷さんにはひとこと『中途半端だよね』と言われてしまいました。正直我々もなんとなくそう感じていたところもあったんです。
岩谷さんに『本当にこれでいいと思ってるの?』と言われて逆に覚悟が決まりましたね。今まではニューヨークという街でやるとか、 Xbox360という最新型のハードでやるとかいった足す方向ばかり考えていたのですが、一度すべてバッサリと捨て原点に戻ろうと思ったんです。

大西ですから今までお話ししたこのバージョンは製品には一切反映されてません。

井口正確に言うと1個だけマンハッタンモードというのをこじつけ的に付け加えたんですが、あとはほぼすべて捨てましたね。


ーー 一度ゼロに戻したわけですね。

中島スケジュールの問題もありましたしね。これは9月前の事だったと思うのですが、 12月にイベントで見せるという話をしていたので後3ヶ月しかないなと。調整などの手間も考えると、物理的にも3Dはありえない。 だから2Dでクールなパックマンを作るというところにしかもう活路はないのかなという。そういう方向に必然的に行っちゃったという感じでしたね。
そこで、今までいろいろな方向に拡散していたアイディアを「限りなくオリジナルに近い原点回帰」というコンセプトに一度狭めたんです。 オリジナルパックマンのよさを今の現代の映像技術スペックでもう一度出し直すということです。元々オリジナルは縦長の画面ですが、 ハイビジョンの横長の広大な画面をどのように生かして新しいパックマンを作っていくかということを考えました。

井口わたしのリスタートのイメージは、中島さんが最初に描いたメモ書きのマップですね。 ある朝会社に来たらそれがペラって机の上に置いてあったんです。

ーー 井口さんはそれを見てどう思われました?

井口最初これはなんの謎かけだろうかと思いましたね(笑)。ただ、マップ数については悩みました。

中島オリジナルパックマンのマップというのは実は1種類しかないんです。 で、やっぱり最新型ということもあってマップにバリエーションがあるというのは謳い文句としてはいいんですよ。 ただ時間的制限もあるし完成度も上げなくちゃならない。その中でどうしようかとみんなで悶々と悩んでいたんですね。

井口その時たぶん田名網さんが「リアルタイムで迷路を変化させればおもしろいんじゃないの」って発言したんです。 すると間髪入れずに大西君が「じゃあ片面ずつ書き換えていけばおもしろいんじゃない」と発言し、後はバタバタと決まっていったんです。

中島これはいいアイディアだと思いましたね。こうすれば横長の広い画面を生かしたマップを特徴的に使い分けることができる。 やっぱりなんか新しいアイディアが一個ほしいじゃないですか。

田名網あの時のブレストって、「あっ!」「あっ!」て声があちこちで聞こえるんですよ。 例えば僕が「迷路がこんな風に変わるのとかってどうかな」って言うと、大西さんが「あっ!」て「じゃあだったら○○して」、 と言われると自分も「あっ!」て(笑)

大西いろんなアイディアがパズルのようにガチャガチャガチャガチャとはまっていってゲームの大枠が一気に出来ちゃったんですよね。 あの時は気持ちよかったなあ。

井口パズルが解ける瞬間ですね。その時に大西君が出したアイディアで感心したのが、どんどん迷路が変わっていくという部分。 元々の迷路が数パターンしかないとしても、遊びのバリエーションが飛躍的に増えます。
さらに、迷路の中にゴーストがいっぱい溢れちゃったらおもしろいなあというアイディアも入れました。 昔のアーケードゲームのスペックだとゴーストは4匹しか出せなかったけど、最新スペックならいくら出しても問題ないですからね。 で、それを元に仕様書も書いて自信満々で岩谷さんに見せたんです。



( 続く )

中島信貴

バンダイナムコゲームス プロデューサー

井口正

バンダイナムコゲームス ディレクター兼ゲームデザイナー

大西康満

バンダイナムコゲームス プログラマー

田名網英樹

バンダイナムコゲームス アートディレクター

photo by IKEDA MASANORI