パックマン30周年を記念して行われるビッグ対談企画。第3弾はポケットモンスターのクリエイターとしてあまりに有名な田尻智さんと、ミュージシャン・作家・タレントのいとうせいこうさん、さらに司会に伊藤ガビンさんを迎えた豪華なメンバーでパックマンについてたっぷりと語っていただきます。


ガビン今日はプロゲーマーだった時代の田尻プロに戻ってもらってお話しをお伺いしたいと思います。

いとう黒帯の田尻さんにお願いしますよ。(笑)

田尻よろしくおねがいします。

ガビンまずはパックマンとの出会いから聞かせてください。

田尻1979年頃にギャラクシアンが出て、80年にパックマンが出ました。まさにその頃はナムコの黄金時代ですよね。毎日ゲームセンターに行ってビデオゲームをやっていました。当時のナムコは新しいゲームとは「動詞」を提案することだというコンセプトがあって……

ガビンそれはどういうことですか?

田尻例えばディグダグは「掘る」ゲーム、パックマンは「食べる」ゲームといった具合です。

いとうなるほど、そういうコンセプトがあったんだ。

田尻これは少年だった僕の心にずしりときましたね。本当にナムコのゲームが輝いて見えました。その代表がパックマンなんですよね。

ガビンパックマンはかなりプレイされたんですか?

田尻もちろんです。でもはじめた頃はなかなか上達しなかったんですよ。

ガビンそれは意外ですね。

田尻最初はゲーム自体のおもしろさはもちろんですけど、四方向レバーが一本だけというインターフェースが面白いと思ったんですよね。

いとうああ、確かに。

田尻それまでもゲームのインターフェースに関しては、レバーを右側に付けるか左側に付けるかとか、ボタンをいくつ付けるかとか、いろいろ試行錯誤があったんですよ。そのインターフェースの違いだけで遊びやすさが変わったりしてたんですよね。

いとうなるほど。

田尻だからパックマンを初めてやった時に感じたのは「え?ボタンがないんだ」っていう驚きね、恐らく初めてだと思うんだけど、ゲームの新しい時代をすごく感じたんですね。

いとうパックマンってちょっとマック(※1)っぽい感じもあったよね。色もとても綺麗だったし、超お洒落でもの凄くシンプルに動くっていう。

田尻なるほど、そうですね。

ガビンいとうさんはパックマンはやってましたか?

いとうもちろんやってましたよ。すぐにゴーストに食べられてたけど(笑)。やっぱり当時あんなにきれいなゲームはなかったからね。インベーダー(※2)のドットの荒さや、使っている色の少なさと比べると、パックマンは今で言う「アバター(※3)」くらいのインパクトがあったでしょ。

(一同笑)

いとうほんとに衝撃的だったよね。「なにこのきれいなかわいいものは」って。だからこそアメリカではアニメになったりダンスミュージックと結びついたりしてカルチャーになったっていうのもうなずける話しだよね。


ガビンで、田尻さんはその後パックマンは上達したんですか?

田尻それがですね、数年後にゲームフリーク(※4)をはじめると、読者がいろいろなゲームの攻略法を手紙を書いて送ってきてくれるんです。

いとうゲームフリーク宛に?すごいね。

田尻その中にパックマンの攻略法の手紙もあったんですよ。でもそれは単にパックマンの迷路に矢印が書いてあるだけで、ちょっと見ただけでは意味不明のものなんです。

いとうあはは、かわいいじゃん。

田尻実はその矢印はパックマンの動く順番をあらわしているわけなんですが、僕は手紙をもらった瞬間にピンときたんです。

いとうピーンと来るんだ。あの時の動きが、みたいな。

田尻そうです。ここに書いてある動きの通りにやれば攻略できそうだぞと思って。で、実際やってみたら急にうまくなったんですよね。

いとう急に自転車に乗れるようになったみたいなもんだ。

田尻今まで全く出来なかった事が、なにかちょっとヒントをもらって「ああ、そうか、こうやって動けばいいんだ」とわかるような感じでしょうかね。これで鍵が7つ並ぶくらいまでいけるようになったんですよ。

いとうその子の指示書でね(笑)

田尻うん。でも相当ゲームが好きじゃないとこの指示書は理解できないですよね。

いとう将棋の棋譜みたいなものだね。

田尻そうそう(笑)

ガビン当時のゲームフリークは日本中で読まれていたのですか?

田尻いろいろな地方に隠密でいて、情報は常に行き交っているわけだから、忍者のネットワークみたいなものだったのかもね。

ガビン読者からの攻略法っていうのは他にもたくさん来てたんですか?

田尻そうですね。いろいろなゲームの攻略法が来ましたよ。その中のいくつかは、わかりやすく清書してゲームフリークに掲載していましたね。

ガビンゲームフリークのメンバーもそういう形で加わってきたのですか?

田尻ええ、そうですね。そう言えばうちの創立メンバーであり、グラフィックのチーフの杉森(※5)なんかは、手から血が出るほどパックマンで遊んでますよ。

(一同笑)

田尻夢中でやってると、たまにね、血とか出ますよね(笑)

いとう機械を壊すか自分が壊れるかっていうね(笑)

田尻僕はパックマンの人気というのが、今までのゲームとは本質的に違う仕組みでできているのではないかと、凄く気になっていたんですね。で、ある日いつものようにプレイしていて、パックマンが角を曲がるとゴーストを引き離すことができるのに気付いたんですよ。よく見るとわかるのですが、パックマンは迷路の角っこでちょっとだけ迷路の内側を歩いているんですよ。それに対してゴーストは、カックンカックンと律儀に直角に曲がる。だから角をたくさん曲がると少しずつゴーストとの距離が離れていくんですね。これは見ているだけではわからなくて、実際に遊んでみないと絶対にわからないことなんです。つまりこれがゲームデザインというものなんですよ。

いとうなるほどね。

田尻いやあ80年のゲームでこれをやるというのは本当に素晴らしいと思いました。だから、僕が最初に作ったファミコンゲーム「クインティ」には、パックマンの角を曲がると敵を引き離せるというゲームデザインが同じように入っているんです。

いとうリスペクトだね

田尻そうです。大切なことはナムコのゲームから学んだというリスペクトの精神ですね。あと、ゲームデザインということでもう一つ例をあげると、ゲームが先の面まで進んでいくとだんだん難しくなるわけじゃないですか。その漠然とした難しさの調整というのを、ゴーストのスピードとパワークッキーの効果時間、そしてパックマンのスピードの3つで行っているんですが、パックマンのスピードが遅くなるのは一番最後なんです。そのバランスが本当に見事なんですよね。


ガビンパックマンはアメリカでもものすごくヒットしたのですが、そのことについてはどう思われてましたか?

田尻アメリカは日本とはちょっと違っていて、ゲーム性はもちろんなんですが、パックマンの後にミズパックマン(※6)が作られるわけですよね。そこでリボンを着けた女の子版パックマンと、ジュニアパックマンというパックマンの子供が登場する。そこでファミリーの最小単位ができてキャラクターとしての魅力が完成したということじゃないかと思うんです。

いとうそれはおもしろいね。そうか、家族の問題なんだ。

田尻うん、赤ちゃんとか、奥さんとかそういう。

いとう世界観ってことだよね。

田尻そう。世界観が膨らんでいくことでパックマンとしての魅力が完成していったんですよ。

いとうブランディングみたいなものだな。

ガビンポケモンもそうですよね。

いとうそうだねえ、その最小単位ともいえるね。

ガビンアメリカではパックマンフィーバーというレコードも出ました。

いとうそうそう、ゲームの世界とこういう世界が結びつくとは思ってなかったからこれにはビックリしたよねえ。

田尻そうですねえ。

いとう今からしたらこのゲームとダンスミュージックが結びつくっていうのは日本ぽいよね、アメリカは早かったんだなあ。

ガビンキャラクター製品もたくさん出ましたね。

田尻すごいことですよねえ。

いとうコンプリートしたくなっちゃうよね。

ガビンキャラクタービジネスの成功例っていうと必ずポケモンが出てきますけど、キャラクタービジネスで一番最初に成功したゲームはパックマンとも言われているんですよね。

田尻ああそうですね。そうだと思います。

いとうお墨付きが出た!

ガビンちなみに田尻さんはパックマンを作った岩谷さんに会ったことはあるんですか?

田尻はい。少し前になりますけど岩谷さんの本(※7)が出た時にお会いして、お話しをさせていただきました。僕が少年だった頃からゲームを作っている人ですから、やっぱり尊敬の眼差しになってしまいましたね。


ガビン当時のゲームセンターのお話しをもう少し聞かせてください。

田尻そうですねえ、その頃はもうゲームセンターに出てたゲームは殆どすべてやってるんですよね。あまりおもしろいと思わないゲームでも何回かは遊んでみるっていう。それである時、開発途中のゲームが置いてあるゲームセンターがあるということを聞いたんですね。

ガビンロケテスト(※8)ですね

田尻はい。例えば「西荻窪のナムコの店に置いてあるよ」みたいに友達から電話がかかってくるので、その日は学校終わったら直行ですね。

いとう電話がかかってくるんだ。

田尻当時はインターネットがなかったから電話が一番早い情報だったんですね。

ガビンゲームをするためのお小遣いはどうしていたんですか?

田尻ゲームフリークの通信販売を始めてからは、ゲーム代金に困ることはなくなりましたね。

ガビンそんなに売れたんですか?

田尻そうですね。中でも一番多かったのはやっぱりゼビウスですね。「ゼビウス1000万点への解法」っていう同人誌の広告をBASICマガジン(※9)という雑誌に載せたら凄いことになりまして。

(一同笑)

田尻で、なんかもう郵便局からサンタさんの袋みたいなのが届いて、中にはギッシリと為替(※10)が入ってたんです。

いとうううわ、それはもうレジェンドだね。

田尻ウチだけで一万部くらい刷ったんです。

いとうううええ〜!!

ガビンそれじゃあ全然お金困らないじゃないですか。

田尻はははは。だからパックマンも鍵が並ぶくらいまで(※11)はとりあえずやって、それでこのゲームはある程度到達したと。

ガビンもちろん他のゲームも。

田尻ナムコのゲームは当時のプレイヤーを夢中にさせる要素がいっぱいあったんですよね。だからゼビウスなんかも1000万点までやりましたし、まあ、6時間くらいかかりましたけど(笑)

ガビン6時間かけて・・・

田尻マッピー(※12)もやったんですけど、これはゼビウスより点数の伸びが悪いので12時間かかりましたね。

いとう耐久レースだあ

田尻なるべく昼頃までにははじめて、それで閉店までやって1000万点いくと。

いとう修行だねこれ。終わんないんだもんねえ。

田尻そうですね。そこまでやりこむとトイレに行ったりできるのは、ボーナスステージの時しかないんですよ。ボーナスステージが始まると同時にトイレに走るという

(一同笑)

田尻だからもう、ほんとにナムコのゲームはたくさんやりましたよ。

ガビンでも100円でそんなにやられちゃ、ナムコはあんまり儲かってないじゃないですか。

(一同大笑)

田尻80年代というのは何時間プレイしたとか、スコアが何桁までいったとか、そういうことが盛んに自慢されていた時代だったんです。でもそれ以降はエンディングのあるゲームが登場し、終わりに向かって進んでいくゲームというのがメインになっていったんです。

ガビン今でもその頃のゲームをプレイするという事はありますか?

田尻そうですねえ、まあたまに思い出してやることはありますけど。

ガビン例えばパックマンも昔のようにできたりするんですか?

田尻それは非常に難しいですねえ。

(一同大笑い)

ガビンでも本当にお上手でしたよね。ぼくはアスキーでライター・編集者として働いていた(※13)のですが、そこに田尻さんもゲーマーとしてゲームをやってたんですよね。ちょっと後ろから見てたんですが、それはもうすさまじくうまかったですよ。

田尻その頃はちょうどパックマンやディグダグやゼビウスといったナムコのゲームがファミコンで新たに出し直されていたころでしたよね。で、ファミコン版の方が少しやさしくできていたんです。

いとう難易度が調整されてるんだ。

田尻例えばパックマンも、見た目は同じなんだけど、ゴーストの追跡がぬるかったりするんです。最初にある程度の時間は遊んでもらえるようにして間口を広げるという作りにファミコンでは改良されているんですね。そうするとぼくなんかは簡単だなこれ、とか思って。

(一同笑)

いとうチョロいなって(笑)。

田尻だから当時はいろんなゲームの攻略法を簡単に書くことができたんですね。それはやっぱり80年代に夢中になってゲームをやった体験があったからです。

( 続く )

※1 マック:

アップルコンピュータが開発・販売するパーソナルコンピュータ「マッキントッシュ」の愛称。

※2 インベーダー:

1978年に発売された株式会社タイトーのアーケードゲーム。爆発的なインベーダーブームを巻き起こした。

※3 アバター:

2009年に公開されたジェームズ・キャメロン監督による映画。本格的な3D映像で話題になった。

※4 ゲームフリーク:

田尻智が主宰するアーケードゲームの攻略法をメインにした同人誌。後に法人化し、ポケモンをはじめとするゲームの開発を行うことになる。

※5 杉森:

田尻と共にゲームフリークの発刊に関わったゲームクリエーター、イラストレーター杉森建のこと。

※6 ミズパックマン:

パックマンの続編として1981年にアメリカで発売されたアーケードゲーム。

※7 岩谷さんの本:

2005年に刊行された「パックマンのゲーム学入門」エンターブレイン刊のこと。

※8 ロケテスト:

開発中のゲームを限られたゲームセンターなどで一般に公開すること。ユーザーの意見を聞く、ゲームバランスの調整を行う、などの目的がある。

※9 BASICマガジン:

電波新聞社から1982年から2003年まで刊行されていたパソコン雑誌「マイコンBASICマガジン」のこと。早くからアーケードゲームの記事を掲載しており、当時のゲーム少年達のバイブルであった。

※10 為替:

日本郵政公社が行っていた送金のための仕組み。郵送などで受け取った為替を郵便局に持ち込むことで換金できた。

※11 鍵が並ぶくらいまで:

パックマンはステージをクリアするごとにチェリーやサクランボなどのフルーツターゲットが登場するが、13面を超えるとターゲットが鍵になる。つまり「鍵が並ぶくらい」とはパックマンで13面以上クリアしている状態という意味

※12 マッピー:

1983年にナムコから発売されたアーケードゲーム。ネズミの警官マッピーを操り、泥棒猫ニャームコが盗んだラジカセやテレビなどを取り返していく。

※13 アスキーでライター・編集者として働いていた:

田尻智と伊藤ガビンは同時期に株式会社アスキー(現・アスキー・メディアワークス)に籍を置いていた。田尻は「ファミコン通信」にゲーム攻略ライターとして、伊藤はパソコン雑誌「ログイン」の編集に関わっていた。

いとうせいこう

1961年、東京都生まれ。早稲田大学法学部卒業。

編集者を経て、作家、クリエイターとして、活字・映像・音楽・舞台など、多方面で活躍。
詳しくはこちらへ http://www.cubeinc.co.jp/ito/

田尻智(たじり さとし)

1965年8月28日生まれ。東京都町田市出身。

株式会社ゲームフリーク代表取締役。国立工業高専時代に同人誌『ゲームフリーク』を創刊。
以降ゲームデザイナーとしてファミコンソフト『クインティ』などを開発し、1996年ゲームボーイソフト『ポケットモンスター 赤・緑』を開発。『ポケモン』の生みの親である。著書は『新ゲームデザイン』(エニックス出版)、『パックランドでつかまえて』(エンターブレイン刊)など。

伊藤 ガビン(いとう がびん)

1963年生まれ。

大学在学中からアスキーのPCホビー誌「ログイン」編集部で働き始める。
1993年にボストーク株式会社を設立、書籍ほかの執筆・編集、ゲーム開発、美術展のプロデュースなどコンテンツ開発全般を手がける。現代美術作家、美大教授でもある。
2010年5月末 Tシャツオンデマンドサイト TEE PARTYをオープン予定

photo by IKEDA MASANORI